少しさみしい送別会

昨年の終わりごろにはちょっと寂しいことがありました。それは職場で若手社員がご退職されたことです。昨年で入社して2年目であって、まさにこれからというときであったので非常に残念に思いました。そして、送別会を開いてあげたのですが、そのときに話を聞いてみると、仕事に慣れなくて体調を崩していることもあったそうです。そんな話を聞いているとどうして自分は気づいてあげれなかったのだろうとちょっと悔しい思いにもなりました。でも体調を崩してしまうほどお仕事を続ける必要もないので、よい判断をされたのだと思います。これからも頑張ってほしいと思います。

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私の最近の普段着とお出かけ着

専業主婦で収入がないので、普段着とお出かけ用の服をしっかり分けて、節約を心がけています。
特に冬場の普段着は外に出るときはコートを着てしまうので、動きやすいカジュアルな服が多いです。
セーターは、家事をして汚れてしまうと、洗うのもクリーニングに出すのも結構大変です。
このため最近の普段はユニクロのフリースのタートルネックに七分袖のトレーナーなどを重ね着することが多いです。
毎日洗うことができるのが家事をする主婦にとっては重要です。
今年も初売りでユニクロタートルネックを安く買ってきました。
その分お出かけ用のセーターはモヘヤやカシミヤ混などの素材の良いおしゃれなものを選んでいます。冬のバーゲンで毎年1枚くらい買うようにしています。
今年は無印良品でカシミアのカーディガンを1枚購入しました。

主婦が働ける条件

わたしは昨年5月に結婚しました。妊娠していたので良く言えばおめでた婚?って言やつですかね、、、
今は子供も無事出産し日々育児に追われ充実しています。しかし色々見えてくる現実、、
我が家の生活力、とても満足でない経済状況ですね。子供が歩き出し喋り出すのを一番近くで見たいのが母親です。
まだまだいっぱい愛情を注いであげたいのにとても働きにいく事ができません。 
パートを探すにも外で仕事をすると言うことは子供はもちろん毎日保育園、つらいですよね。 
何も資格が無い私にもできる事を探していると在宅ワークと言うものを見つけました。
昔で言う内職?そう言えば昔おばあちゃんが家で人形作ってたなぁ、笑  
今の時代はパソコンでなんでも出来る時代です。私にも出来そうな事を見つけ少しわくわくしております。

しょうがの力を改めて感じた日

ここしばらく全く病気をせず、元気に過ごしていたのですが、とうとう風邪を引いてしまいました。天気の悪い日にどうしても屋外に長時間いなければいけなかったので、雨に濡れた体が冷えたのが原因でしょう。症状を感じてすぐ、早目に漢方薬を飲んで寝ようとした所で「そういえば風邪の引き初めには生姜だなあ」とふと思いました。頭痛に加えてやや胃腸に不快感を覚えていたのです。粉末のしょうが湯をストックしていたので、早速一杯作って飲みました。私の場合、漢方薬や生薬に対する絶大な信頼から、プラセーボ効果も多少あるとは思うのですが、このてきめんな効果にはまたしても感動を覚えてしまいました。すっきりと静まった胃腸を抱え、これから早めの就寝で、一気に治癒してしまおうと思っています。

アラサーのうつ病日記。

熱田神宮で正式参拝してきました。
母の運転手で(笑)

自分は、初詣はすませましたし、
母も松の内に参拝したのですが、
「やっぱり、宮司さんに直接祈っていただきたい、
 だって、新年だから」
と言われて、運転手してきました。

さすがは、三種神器を祭る熱田神宮
1月12日、平日であろうと
団体バスが何台も駐車しています。

駐車場は、数か所ありますが、
正面の駐車場は、こぶりです。
狭いです。運転苦手な私には、、

車に合わせたサイズと言うより
自然に合わせた不思議な楕円形敷地、

自分だけなら、遠くの大き目駐車場にしますが、
冷え性マックスの母の方向距離は
極力、減らさねばなりません。
頑張りました。後ろから続く人たちに
「ごめんなさい」と目で訴えつつ駐車成功です。

御池に面したお抹茶アイスとしるこの店を
横目に見つつ、名古屋名物、宮きしめんの店を
通れば、大鳥居、御手水です。

後は、社務所に向かって前進あるのみです。

が、、、正式参拝の信心深い人は母だけでは
ありませんでした。

小型体育館くらいある拝殿いっはいに
いらっしゃいました、、バスで、、

宮参りの赤ちゃんが
""""今年で見事大台の三十路になります。

さっそくですが、私が発病した原因からお話します。

発病したのは専門学校一年生の時、ささいなことから特別仲の良かった異性に怒られたことが原因です。
「え?そんなことで病気になるの??」
とお思いになるのは重々承知しておりますが、なるんです。
初めての土地での一人暮らしにホームシック、もとからあまり感情をストレートにぶつけることができず、貯めこんむのが良くなかったのかもしれません。

彼からしたら少し注意したくらいの気持ちだったんでしょう。
しかし、自分で自分の過ちに深く反省していた私にとっては、彼の言葉で頭も目の前もが真っ暗闇に堕ちてしまいました。

教室に自分の居場所が無い、呼吸すらまともに行えない状態出てきた感情は「とにかくこの場から逃げ出したい!」でした。

そのあとは自分が自分でない、第三者のような不思議な感覚でした。
アパートにふらふら帰ったのは覚えています。目の前の光景がまがって見えました。
アパートにつくなり、まず思ったのが「自分が許せないという怒り」です。
反省して深く傷ついたことを証明することはできないだろうかと考えていたら、自然と包丁を左腕にあてていました。

はじめは怖いのもあり、みみずばれのような赤い跡が残る程度でしたが、自傷行為は反芻します。
そしてエスカレートします。
ツライことがあるたび、カミソリでいろんなところを切ってしまうようになりました。

それが19歳の時。

それから学校もやめ、病院へかよい、はや10年です。
その10年間の間にも自傷行為はひどくなったり、落ち着いたりを繰り返し、最終的には病院で出された薬の大量服薬で死にかけてしまいました。
それも原因はささしなこと。
同僚にに仕事状、迷惑をかけてしまったことが原因です。

現在も病院に通って闘病中です。
私のように毎日の少しのズレが修正できず、些細なで壊れてしまう人もいると思います。
大切な人であればあるほど、些細な言葉でも傷つくのです。

うつは繰り返しやってきます。
つらくて先が見えなくて終わらせたいと思ってる方もいると思います。

でも大丈夫です。
私も私が気付いてないだけでたくさんの人に心配されてました。

気持ちを完璧には分かってもらえないのは仕方ありません。
経験しなければわからないこともあります。

私は、同じ悩みを抱えている人に共感はできます。
いつか私の言葉で、心の不...